東京雪祭でドナー登録したエス氏が実際に骨髄提供してきたお話

 みなさんこんにちは。エス氏です。今回は東京雪祭とエス氏がドナーになったお話になります。まずは東京雪祭からご紹介しましょう。ブログでも何度か記事にしておりますね。去年も献血に行ってきましたよ。

東京雪祭2018に行ってきましたぞ

2018年11月16日

東京雪祭2017に行ってきましたぞ

2017年11月13日

東京雪祭SNOWBANK PAY IT FORWARD 2020

 東京雪祭は代々木公園で開催され、献血やドナー登録を呼びかけるイベントですね。主催しているのはプロスノーボーダーの荒井”DAZE”善正さんで、彼自身が骨髄移植により難病を克服したことから、SNOWBANKという団体を立ち上げて献血やドナー登録を呼びかける活動をしているわけですな。

 東京雪祭は毎年11月に開催され、人工雪を使ったジブの大会を行ったり、スノーボードブランドがブース出展したりして、なかなか面白いイベントなのですよ。毎回ドギーさん、ZIZOさん、ブッチさんといったWOWメンバーにも会えたりもするのです。

東京雪祭SNOWBANK PAY IT FORWARD 2020

一般社団法人スノーバンク

 主催の荒井”DAZE”善正さんは実に立派な活動をしていると思うのですが、一方のエス氏は稼ぎの少ない独身の中年おじさんという、社会的貢献度が低い肩身の狭い存在なんですよね。そこでどうにか人様のお役に立とうと、2018年の東京雪祭ではボランティアとして活動のお手伝いをさせていただきました。

 今までにも献血は何度かしていたのですが、ボランティアを行った際にドナー登録もしてみまして。まさか自分が選ばれるとは思いませんでしたけど。

骨髄バンクから連絡がきたでござる

 ドナー登録をした翌年の2019年、骨髄バンクのコーディネーターから連絡がありました。コーディネーターさんは患者とドナーを繋ぐ役割をする人ですね。患者とドナーが直接やり取りをすることはないので、エス氏も基本的にすべてコーディネーターさんを通じて骨髄提供をしましたよ。最初は電話連絡と書面も届いたような気もしますね。

 最初に骨髄提供をする意思があるかを確認され、無ければ終了。意思があるならまずは健康診断を受けるところからコーディネートがはじまります。骨髄提供するまでの一連の流れをコーディネートといい、終了するまでコーディネーターさんが面倒を見てくれますよ。

 コーディネート終了までには何度も病院へ行ったりする必要があるので、けっこう時間を取られます。エス氏のようなサラリーマンにはなかなか大変ですが、病院の場所や日時はコーディネーターさんがうまく調整してくれましたな。

どんな人がドナーに選ばれるのか

 職場の近くの病院で健康診断を受けました。コーディネーターさんとはここで初めて会い、いろいろ話を聞くことができましたな。ドナーが見つかるというのは奇跡的なことなのかしらと思っていたのですが、聞けば今どきは1人の患者さんに対し数人のドナー候補がいるそうです。エス氏もこの時点ではドナー候補の1人。候補の中からもっとも条件が合う人を選定していくということでした。

 条件が合う人、というのもいろいろあるようでして。血液的な部分で適合しているのは当然としても、手術のタイミングに合わせて骨髄提供できるか、住んでいる地域はどこか、なども重要ということでした。

 なるほど。骨髄提供するにも本番では3泊4日の入院が必要になるため、スノーボーダーのエス氏であれば、なるべくなら冬の時期は避けて欲しいところです。海外旅行の後もしばらくは骨髄提供できないみたいですね。住んでいる場所については、骨髄は保存ができないそうで、採取したらすぐに患者さんに届ける必要があることから、患者さんとドナーの位置関係はけっこう重要みたいです。

 そんなわけで健康診断を済ませて特に問題のなかったエス氏ですが、ドナーに選ばれたのは他の人でした。この肩透かし感よ。

2度目の打診

 ドナー登録のことなどすっかり忘れていたエス氏に再びコーディネーターさんから連絡があったのは2020年の上旬でした。まさかのドナー候補2回目です。しかも2年続けてというのは珍しいようですね。もちろん前回とは違う患者さんです。どうせなら美少女JKに骨髄提供したいなあとキモい妄想も膨らみましたのう。ちなみに骨髄バンクのHPをみたら、ドナーに選ばれる確率は2.9%のようです。

 ちなみにここからは時期や病院などをボカして書いていきます。患者とドナーが特定されるとトラブルの原因になるようで、本人を特定できるような情報はSNSなどの上げないようにいわれておりまして。エス氏も具体的な場所や日程を書くことは避けたいと思います。

最終同意

 さてなんやかんやドナーの最終候補に選ばれたエス氏。最終同意という手続きをすればドナー決定で、もう後には引けません。都内の病院で最終同意を行いました。

 ドナーは骨髄提供と末梢血幹細胞の提供という2パターンあるのですが、エス氏は骨髄提供をすることに。末梢血幹細胞の方はなんだか忘れました。この辺りは最終同意に際し、医師から詳しく説明がありましたけどね。ドナーは何をしてどんなリスクがあるのか。全身麻酔で100回くらい注射器を使って腰骨から骨髄を採取するのですが、ノーリスクというわけではありません。

 そういえばエス氏はドナー候補に選ばれてから、どうしようかと悩んだことはありませんでしたね。どこの誰だか知りませんけど、命が助かる(かもしれない)なら骨髄くらい提供しますよ、という感じ。なんの報酬もありませんけど。社会貢献しなくては。

 手術のリスクについても説明を受け、別にいいですよと最終同意に応じたエス氏ですが、唯一気がかりだったのは尿道カテーテルです。ちんこに管を通すなんて死んじまうぜと思いましたが、今どき骨髄採取でそんなことはしないそうで安心しましたわ。

 最終同意の書面を出すと、患者さんは手術に向けて準備に入ります。手術前には自分で血液を作り出すことができない状態になり、そこへドナーの骨髄を入れるということになるそうで、その状態でドナーがバックレると患者さんは死んでしまうんですよね。軽い気持ちで最終同意はできないのです。

 とはいえエス氏に何か大きな決意があったかといわれるとそうでもなく。命をかけているのはエス氏ではなく患者さんですからね。それに比べればエス氏のリスクなど低いものです。

入院まで

 手術の日程が決まり、それに合わせて何度か入院予定の都内の病院に足を運びました。会社の上司にも事情を説明し、仕事中に抜け出して行きましたよ。まずはいろいろ検査を受けたのですが、休肝日を作ったおかげかエス氏の肝機能が回復していることが判明したのは嬉しかったですな。病院にはコーディネーターさんも一緒に行き、担当の看護師さんと一緒に検査に回ったのですが、その看護師さんもなかなか可愛らしく、実のところ楽しかったです。

 手術までの注意事項はいろいろありましたのう。市販の薬やサプリメントは飲まないように、激しい運動はしないように、など。激しい運動…?エス氏がタラタラ続けているプリズナートレーニングは激しい運動ではない気もしますのう。山登りとかはどうかしら。聞いてみると微妙そうな顔つき。ウォーキング程度なら問題ないということだったので、どうもおとなしくしておいた方が良さそうでしたな。

 こんなわけで、エス氏が山登りやらオフトレ記事も書かずにいたのは自粛していたというわけではないのですぞ。

 さて手術前には検査とは別に2回ほど病院へ行き血を抜かれてきました。これは自己血の採取で、手術に際して自分の血を輸血するためのものです。骨髄は血液1,000mlくらいと一緒に採取するそうで、それを補うために400mlを2回で計800mlの自己血を採取しました。400mlの全血献血を1度行うと、次に献血をするまでには男性で12週間の間隔をあけるようなのですが、エス氏は中1週間で2連発。まあ激しい運動はしていないので特に問題はありませんでしたけど。

 自己血採取には思わぬ感情が湧いてきました。健康診断の採血でも献血でも、一度抜かれた血はもう戻ってきませんが、この自己血は再びエス氏の体に戻ってくるのです。そう思うと己の赤い血に親しみを感じるではありませんか。自己血よ、手術の時にまた会おう。

 採血の後は生理食塩水の点滴を打たれましたが、点滴を打たれるのはこれが初めて。けっこう腕が冷たく感じましたのう。担当の先生曰く、二日酔いには点滴が効くそうで。そういえば薬やサプリはダメで運動制限もありましたが、お酒は禁止されていなかったので普通に飲んでいましたよ。

骨髄提供本番

 いよいよ入院です。骨髄バンクからは入院準備金として5,000円が支給されました。骨髄バンクからもらえるのは交通費とこれだけですぞ。エス氏にとっては初の入院です。入院期間は3泊4日で、2日目が手術です。とりあえず個室で快適でしたな。

 初日はランチの後に入院。担当の看護師さんは別料金で特別食というものがあると聞いていたので、事前に予約したりしましたね。TVもあるようだったので、PS4をつなげるか聞いたら困惑していました。前代未聞だそうで。暇そうだからプレステで遊ぼうかと思ったのですが、実際病室に入ってみるとTVは高い位置にぶら下がっていて、つなぐのは難しそうでしたな。残念ながら暇つぶしは読書とスマホです。

 採血と採尿があるだけで、初日は特に何事もなく終了しましたね。病院なので夜中でも救急車のサイレンが何度も聞こえてきて、なかなか寝付けませんでした。翌日は初めての手術ですが、緊張していたかと言われるとそうでもありませんでしたのう。エス氏にとっては、この骨髄提供に関してのメインキャラはあくまでも患者さんの方で、自分はおまけのようなものだと感じていたからでしょうか。

 入院2日目、手術当日です。朝から医者やら看護師がわらわら病室にやってきましたね。手術中に漏らしても大丈夫なようにでしょうか、妙なパンツを穿かされましたぞ。

 歩いて手術室へ。漫画で見るような「手術中」という感じのランプはありませんでしたね。いよいよ手術台に寝ましたが、ここでも特に緊張はなし。もしかすると少し緊張していたかもしれませんが、もうさっさと終わらせてくれ、という感じでした。

 手術台の上ではまず手の甲に点滴用の針をがっつり刺されました。事前に痛み止めのシール?を貼っていたので痛みはありませんでしたが、これ痛み止め切れたらどうなるのかしら、と心配になる程でかい針でしたな。

 マスクを装着し、まずは深呼吸。いよいよ全身麻酔ですね。点滴がはじまり、ボンヤリして咳が出そうになると言われました。なるほど、ボンヤリしてきたしなにやら咳をしたい感じですの。深呼吸をしているうちに、いつの間にか意識を失いました。この時点では仰向けでしたが、骨髄は腰骨から採取するのでうつぶせにされたかと。

 呼びかけられて、目が覚めます。どうも手術は終わったようですが本当に一瞬でしたな。とにかく意識が朦朧とし、ひたすらに眠く、再び意識を失いました。病室へはどうやって戻ったのか記憶にありません。

 病室でもひたすら寝ていました。時々声をかけられて目を覚まし、ボンヤリしながら美人の看護師さんと会話をしたのは覚えています。体で違和感があったのは喉ですね。全身麻酔中は人工呼吸のために気管内挿管をするということだったので、それが原因でしょう。

 手術は午前中に終わっていますが、エス氏の意識がはっきりしてきたのは14:00頃だったでしょうか。点滴が外され、1人でトイレへ。立って小便をしようとしたのですが、下半身が麻痺したようでなかなか小便が出ません。おりゃ!といきんだら強烈な立ちくらみがして倒れるかと思いました。危ない危ない。

 骨髄は腰骨から採取するので、針を刺した傷が腰に2ヶ所あります。100回くらい刺しているようですが。傷口を抑えるためのかなり硬くガーゼとテープが貼られておりましたね。腰痛の痛みではないので、傷口を刺激しなければそれほどの痛みはありませんでしたな。どちらかというと右手に刺したままの点滴の針の方が痛かったです。

 その後は寝転がってスマホを見て過ごしました。入院中は退屈で、楽しみといえばやはり食事ですな。手術当日の食事は夜だけでしたし。ちなみに右手に針が刺さっていたのでお箸が使いにくいことこの上なかったです。

 入院中に食べた特別食をご紹介しましょう。こちらが特別和食。

 特別洋食。かなりのボリュームでしたね。

 特別洋食の朝食です。特別食はそれなりに美味しかったですが、普通食もけっこうイケましたぞ。病院食は不味そうなイメージでしたけど、見直しましたね。

 夜は熱が出てなかなか眠れませんでした。右手の針もチクチク痛みますし、ベッドも硬いし。看護師さんが夜中でも2時間おきに様子を見にきてくれたのは安心でしたけど。ろくに眠れず朝を迎えると、また先生たちがわらわらと病室に入ってきました。熱も下がり、寝不足という以外は調子は悪くなかったですね。

 朝食の前に右手の針を抜いてもらいました。これでようやくお箸が使えます。午前中は本を読んだりして過ごし、午後になると腰のガーゼを剥がすことに。これが相当に強力な接着剤で貼り付けていたようで、看護師さんは溶剤を使って剥がしていましたな。それでもなかなか剥がれませんでしたけど。どうりで寝返りをうっても剥がれなかったわけですわ。

 傷口のガーゼは剥がしましたが、まだ防水テープが貼られていました。これでシャワーを浴びても大丈夫です。個室なのでトイレもシャワーも付いているのは楽でいいですの。どうせなら湯船に浸かりたいのですが。

 シャワーを浴びてさっぱりした後は病院内のコンビニまで歩いてみたり、ちょっと気分転換。体調は悪くありませんが、元気というほどでもありませんでしたな。エス氏は健康な状態で手術を受けてこれですからね。骨髄提供を受けた患者さんの方はよほど大変なんでしょう。エス氏的には初めての入院といういい経験ができたくらいの認識でしたわ。

 最後の夜はぐっすり眠れましたな。早朝に看護師さんが来て採血がありました。また先生たちがわらわらと様子を見にきましたが、特に問題ないということでそのまま退院する許可が出ましたよ。あっという間の3泊4日でしたの。

 病室を出た後、コーディネーターさんと面談していろいろ報告。腰に痛みはありますが、腰痛ではなく傷の痛みなのでそのうち治りそうな感じではありました。最後に会計で特別食の料金を支払ってから帰宅。入院の費用はもちろん払いませんが、個室は1泊3万円以上するようですね。

退院後

 腰の傷はしばらく痛みましたが、日常生活に支障があるというほどではありません。傷口に気を使っていれば問題なく過ごせましたね。退院後1週間くらいから筋トレも再開しました。今では腰の痛みも消え、すっかり回復しておりますぞ。

 退院後2週間くらいで再び病院へ。血液検査をしましたが、特に問題なく、これでエス氏のコーディネートはすべて完了しました。いやはや、けっこう大変でしたけどいい経験になりましたのう。

 その後はSNSなどに載せないとを条件に、手術前に書かれた患者さんからの手紙をもらいました。患者さんが治ればいいなとは思いますが、エス氏的には特に手紙に感動することはありませんでしたね。ちょうど進撃の巨人を読んでいたので、エス氏の骨髄提供を受けた患者さんが叫びで巨人になったら面白いのに、とか思ってましたわ。

まとめ

 骨髄提供を行ってみて、社会貢献をしたという充実感はありましたね。何度も病院へ行き、入院もし、けっこう行動も制限されたと思いますが、まあやって良かったですわ。骨髄提供をしてくれる、ということに対し、コーディネーターさんや病院の人たちがとても敬意を払ってくれているのが感じられました。エス氏のような社会的貢献度が低い中年おじさんでも人様のお役に立てることがあるというのは嬉しいことですよね。

 東京雪祭のボランティアには実際に骨髄提供を受けた患者さんも何人かいましたが、彼らのドナーに対する感謝の気持ちというのは側で見ていても伝わってきましたね。ここまで読んでいただいて、ドナーに興味を持っていただいたら、ぜひ東京雪祭でもどこででもドナー登録していただければと思います。

 最後に。骨髄提供をしても骨髄バンクからは一銭も報酬が出ませんが、入っている保険によっては入院や手術に対して保険金がおりるかもしれませんよ。エス氏はもらえませんでしたけど。保険が降りなくても住んでいる地域の自治体から奨励金がもらえる場合がありまして。エス氏の場合はこの奨励金がもらえましたよ。ちなみに1日2万円。入院だけではなく、それに伴う自己血採血や健康診断なども1日にカウントされるので、けっこうもらえます。エス氏の住んでいる自治体では最大7日分までもらえ、エス氏は最大でもらいました。1日1万円の7日分ですが、ついでに会社にも奨励金が支払われましたよ。まあ会社の理解があったので協力できたわけですからね。お金のためにやったわけではありませんが、まあもらえるものはもらっておきますわ。

 てなわけで、DQNなエス氏が多少は人様のために貢献しました、というお話でした。もう一度ドナーに選ばれたら、喜んで引き受けると思いますよ。

骨髄バンク

6 件のコメント

  • 大分勇気がありますね〜。リスペクトです。興味はありましたが、イマイチ勇気が足りませんでした。ドーネーションの経過がとても良くわかって、参考になりました。ありがとうございました。

    • ありがとうございます(^^)
      尿道カテーテルがなかったので特に勇気は要りませんでしたね。

  • うーん、すごいです
    なかなかできることではありませんよね
    スノボ温泉ブログおじさん(めちゃ失礼)
    かと思っておりましたが
    ほんとうに素晴らしいですね
    ブログの見方が変わりそうです

    • ささんありがとうございます。
      まさにスノボ温泉ブログおじさんですね(^^)
      奨励金目当てにやっただけなので、今まで通りの見方で特に問題ありませんぞ。

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